P-I-E-14
経過観察中に急性心筋梗塞により死亡した川崎病冠動脈後遺症の 1 例
麻生飯塚病院小児科1),久留米大学医学部小児科2),北里大学医学部小児科3)
岸本慎太郎1),家村素史2),籠手田雄介2),伊藤晋一2),江上公康2),菅原洋子2),前野泰樹2),須田憲治2),松石豊次郎2),石井正浩3)

川崎病冠動脈後遺症を持つ患児のフォローアップで大切なことは,狭窄病変への進行をできるだけ早期に予測することであるが,そのための定期的な検査スケジュールは確立していない.当科では冠動脈後遺症を持つ患児には少なくとも 3~5 年に 1 度の冠動脈造影を,またその間は運動負荷検査,心筋シンチグラムなどを行ってきた.しかし,今回川崎病冠動脈後遺症後,狭窄性病辺のない拡大性病変のみとして経過観察中に,急性心筋梗塞により死亡した症例を経験したので報告する.症例は13歳,男児,1991年(10カ月)に川崎病発症し,γグロブリン 2g × 1 投与するも無効で,冠動脈造影にて右冠動脈(seg 1)に 6mm,左冠動脈(seg 5, 6)に 9mmの巨大瘤を認め,アスピリン,パナルジンの内服にて経過観察されていた.1995年(4 歳)に 2 回目の冠動脈造影を施行,右冠動脈瘤は退縮,左冠動脈はseg 6 に6.5mmの瘤を認めるのみで退縮傾向にあった.以後,本人も無症状で運動(バレーボール)もやっており,両親もカテーテル検査を希望されなかったため,定期外来受診と内服続行で経過観察されていた.2004年 3 月頃に運動時の違和感あり受診,運動負荷を施行,心拍数190まで上昇し,ST-T変化認めず,胸痛も出現しなかっため経過観察とし,両親の了解を得て,夏に冠動脈造影の予定とした.同年 6 月,運動中に突然意識消失,心肺停止となり,当大学に搬送された.緊急冠動脈造影にて左冠動脈瘤seg 6 の近位側に99%の狭窄を認めたが,末梢側の描出は良好であり,その部分の一過性閉塞によるものと考えられた.以後,集中治療を施行したが,入院14日目に死亡した.本症例のように狭窄病変への進行は外来検査では発見が困難な例もあり,より正確な検査方法,検査の時期の確定が必要である.本人の訴えがあれば,できるだけ早期に冠動脈造影を施行するべきと考えられた.

閉じる