会長講演 
心臓病の子どもと家族に学んだこと
(財)脳神経疾患研究所附属総合南東北病院 小児・生涯心臓疾患研究所所長
中澤 誠
 私が1970年に小児循環器学を学びはじめた当時,学問的にも医療的にも黎明期で,治療の成績は惨憺たるものであった.先天性心疾患が形態異常である限りその根本治療は手術であり,われわれ小児科医は,正確な診断,良い術前状態,病理検査によるフィードバックなどの医療面での改善による寄与が役割であった.その後,外科手技と内科(小児科)側医療が歩を同じくして進歩し,今日に至っている.しかし,この間変わらないのはヒトのこころであり,医療が一面でこころとの対峙であることを考えれば当然であろうが,医療技術が進めば進むほど,この面がむしろ次第に医療の前面から後退してきていると感じられるのは私だけだろうか.
 新人のころ,白血病の子の最期の 2 週間をずーっとベッド脇で過ごした後,両親のいる前で「先生,有難う」と言ってくれた子は私に大きな力を与えてくれた.呼吸困難で苦しむ心疾患乳児の人工呼吸のバッグを三日三晩押し続けた時,病室の外からガラス越しに見守っていたお母さんが「先生,有難うございました.もう…」と過去形でおっしゃった時,私は強い衝撃とともに,小児科医の私に求められているもう一つのとても大切なことがあることを強く感じた.爾来,多く患者の死を見送りながら,そして,その時は常にある種の敗北感と後ろめたさを持ち続けながら,患者と家族が私達小児科医に希求することが何であるかを追い続けている.宗教の本を読みあさった時期もあったし,何より,患者家族と,そして最近では成人になった本人と,いろんなお話をさせていただいた.医療は,当然のこととして,患者に一日でも永く生きていていただくことが一番のテーマであるが,私達の扱う重い心臓病ではそれが叶わないことも少なくなく,家族に,そして時には本人に「余命」を告げなくてはいけない,あるいは看取っていかなくてはいけない,これは本当に辛い仕事である.でも,次に紹介するような「こころ」を聞かせていただくと,私達がしなくてはいけないこと,できることが示されているようだし,同時に,私達にも希望を与えられる.

「みんなにありがとう」
YF君,小学 5 年,単心室,手術適応なし.
 僕がお母さんのお腹の中から世の中に出てくる時に,神様に「君は心臓が悪くて少し不便なことがあるかもしれない.運動ができないかもしれないけどそれでもいいかい? もしかしたら,いつまでの命か分からないけれども・・.」と言われて,「はい,いいですよ.」と言って生まれてきたと母から聞いた.僕は全然覚えていないけど.
-中略-
 僕は楽しく生きたい.楽しく生きたい.笑いながら,笑わせながら僕の回りを明るくしたい.
-中略-
 家族,先生たち,友だち,みんなの助けがあったから,僕は生きている.だから僕は声を大にしてみんなに言いたい.「ありがとう」と.

(掲載の許可をいただいています)


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