日本小児循環器学会雑誌 第25巻 第1号 2009年
帝京大学医学部小児科
柳川 幸重
東京都は2007年 6 月に「東京都地域医療対策協議会」を設置し,「医師の確保に向けた提言」を2008年 2 月に発表した.この提言には,「過重になる医師の業務と医師の疲弊」,「女性医師の増加と就業の障壁」,「患者の受診動向」,「病院勤務医師の勤務環境改善」,「都民の啓発」など,現場の医師が問題と感じていることが多く取り上げられている医師にとって歓迎できる内容になっている(インターネットで「東京都 医師確保に向けた提言」の検索で全文を読むことができる).一方,同年秋に文部科学省は次年度の大学医学部の入学定員を過去最大規模に増やすことを決定した.これは,「医師不足」に対する抜本的な対策として歓迎されているようにみえる.しかし,この定員拡大で,本当に不足している診療科に人が集まるのだろうかと考えてしまう.
東京都のある地域では新たな診療所設置は歓迎されていない.つまり,その地域で診療所数は足りている.一方で「小児救急」は「医師不足」で問題を抱えており,より複合的な問題を含んだ産科医療では「たらい回し」が問題になっている.
救急・産科・小児科がなぜ病院から消えつつあるのか? それは医師不足に先行して,それらの科が病院にとって「採算のとれない専門科」であったからである.つまり,「医師不足」の前に医療経済上の問題がある.現在の「医師不足」の原因は医師の絶対数の不足ではなく,経済的理由による診療科・診療施設の空間的・時間的偏在が問題なのではないだろうか.
社会では,ある職種に人が足りなくなると,賃金,報酬を上げることにより人材を確保しようとする.それにより収益を上げることができれば,元が取れるからである.少し前までのIT産業,金融関係における高賃金はまさにそれであろう.医療界においてそれが成り立たないのは,日本の医療は,社会主義的医療であるからである.この制度は国民が平等の医療を受けることができる素晴らしい制度である.その反面,枠組みが決められた範囲でサービスを競うことが強いられる.社会主義的仕組みとサービス業は本来両立しにくい.より良いサービスを提供することが経済的に有利になる分野でなければ,サービス業は発展しない.それを,なんとかサービス業らしく保ってきたのは,日本の医師の良心と,同時に,そのような雰囲気の社会を作ってきた日本人の心であるとも言える.医師の多くは,患者・ご家族の「ありがとうございます」の言葉を糧として生きている.医師の誇りと喜びがそこに凝縮されている.
現在問題になっている救急・産科・小児科医療とそれを組み合わせた形としての地域医療は,精神的な満足感ではやっていけないほど過酷であり(死者もでている),その割に報酬が少ないのが最大の問題点であることを注視しないかぎり,「医師不足」の解決のカギはないように思える.
それに加えて,訴訟問題がある.まじめに働いている救急医,産科医,小児科医をおびえさせるような訴訟が起きている.医師にとって訴訟は勝っても負けても,負けと同じことである.洪水のように流れるマスコミの攻撃に耐えられる者は少ない.
医学部の定員増は,「医師不足」に関して 6 年後には効果があるだろう.しかし,医師大量供給時代になった時に,救急・産科・小児科にいくのは,「他の科にはいけなかった人」であると認識されることを恐れる.それこそ,救急・産科・小児科医のプライドを壊し,日本の医療を駄目にしてしまうだろう.過酷な仕事をする人には,それなりの報酬を払えるような診療報酬制度にするのが「医師不足」の解決法の一つとして望ましいのではないだろうか.