日本小児循環器学会雑誌 第27巻 第4号 2011年

長野県立こども病院循環器小児科
安河内 聰

 あの信じられないような大震災と津波が東日本を襲った3月11日から,3カ月がたとうとしている.毎日報道で流される被災地の光景には,本当に胸がふさがれる思いがする.東日本大震災と津波に被災された方々に心からお見舞いの言葉を申し上げるとともに,被災地で一日でも早い復興を目指して頑張っておられるすべての人々と,被災地のためにいろいろな形で援助しているすべての人に心からの敬意を表したい.
 それまで当たり前と思われていた日常が一瞬にして奪われてしまった東北の方々が,静かな連帯の中に想像を絶する運命に立ち向かっていく姿は,私達に多くのことを語りかけているように思う.必要な医療機器がない状態で,自らも被災者でありながら被災者のために活動された被災地の医療関係者の方々ももちろんであるが,特に原子力発電事故の処理に自らの命をかけて奉仕する発電所現場の職員の姿には,高い職業倫理と尊厳に裏打ちされた「プロフェッショナル」の姿があり,忘れかけていた「医師の原点」のようなものを教えられた気がした.
 ここで自分自身を振り返って「医師としてプロフェッショナルであること」の意味をもう一度考えてみたいと思う.
 そもそも医師になるときに,「ヒポクラテスの誓い」を耳にされた方は多いと思う.すなわち,「自身の能力と判断に従って,患者に利すると思う治療法を選択し,害と知る治療法を決して選択しない」という言葉に代表される有名な誓いである.その後この「ヒポクラテスの誓い」の倫理的精神を現代的に公式化したものとしては,2006年にディボンヌ・レ・バンで「ジュネーブ宣言」の改訂版が出されたが,ここでも「人命を最大限に尊重し,全人道的立場にのっとり医療を実践する」とうたわれている.概念的には全くそのとおりとしかいいようのない言葉であるが,では具体的に「プロフェッショナルな医師」になるためには,どう行動すべきかという点になると,はなはだ心許なくなってしまうのも事実である.つまり,具体的な行動目標の設定をどうすればよいのか行動指針ができていないということなのかもしれない.
 具体的な行動目標といえば,1969年に北海道警察で制定された「刑事の誓い」なる7カ条の項目が参考になるかもしれない.もちろん刑事という職業と医師という職業の間には埋めがたい溝もあるが,プロフェッショナルな仕事をするという点では共通するものも多い.その「刑事の誓い」とは
 1.社会正義(患者)のために,これが我々の使命である.
 2.打てば響く,これが我々の感覚である.
 3.腰軽く粘り強い,これが我々の根性である.
 4.心と心の触れ合い,これが我々の誠意である.
 5.物(患者)から“もの”を聞く,これが我々の科学である.
 6.話し上手より聞き上手,これが我々の技術である.
 7.どんな役にも誇りを,これが我々の組織である.
といった7項目である.ここで括弧に示したように,患者という言葉に入れかえるとそのまま「医師の誓い」として使うことができると思う.医師個人としてだけではなく,医療チームとして行動することが要求されている現代医療においては,むしろこの「刑事(医師)の誓い」のほうがより具体的でわかりやすい.
 「プロフェッショナルな医師」の定義は,それぞれの医師で同じである必要はないが,患者さんが考える患者自身の利益のために結果を出すことができる医師ということが,共通項になるかもしれない.
 結局,自分にとって「プロフェッショナルな医師」(を目指している者)として「医師の誓い」を立てるとすれば,独りよがりでもいいから「もし,自分自身が患者であったらこんな医師に治療してもらいたい」と思えるような医師を目指して,少しでも目の前の患者さんの利益になることを日々こつこつと努力を続けて結果をだすこと,というほかはないと思う.